習い方で人生が大きく変わる

習い方で人生が大きく変わる 第一部の①

 今から数日前の話になりますが、明学院に興味を持たれ「算命学を習いたい」という方が
いらっしゃいましたので、早速個別面談をして当校の説明をさせていただきました。
(明学院では算命学を習いたいという方には、個別での説明会を実施させていただいております。)
その方曰く、「私は他の学校にも興味があるので、もう一つの学校と並行して学びたい。」とのことでした。 また、それとは別に「お免状制度の良否」についての質問がございました。

まず、前者の希望ですが、明学院以外の他校が、並行学習を奨励しているのかどうかは定かではありませんが、 当校ではその学習行為を許可しておりません。
これには算命学の理論的な理由がありますので、後述させていただきます。
(※前者・後者共に、陽占考糧という思考法で説明ができます。書物では、算命学大系に掲載されております。)

 後者のお免状に関する質問についてですが、 「明学院の流れは、高尾御宗家から直接お免状を頂いた学派になりますので、当然重要な制度として考えております。」 「お免状を否として捉えて説かれる人(学校)は、高尾御宗家からお免状を頂いけてない人(学校)かと思います。」と回答をさせていただきました。

 実際に高尾御宗家は、算命学で多くの人が食べて行けるように願い、 「お免状制度を確立」させようとしておりました。

 お免状の事について、ここでは賛否を論じることはいたしません。
ここで大事なことは、その学校とは算命学の学習ルーツが異なるという事です。

 明学院算命学は、高尾御宗家から清水南穂先生へ、そして次代の私たちに受け継がれております。
それゆえ、算命学に対する思い入れは、 自然と高尾御宗家が教えられた算命学を継承していくという使命が根源にあり、保守的な継承と教えになっていくのです。

 これは、玉堂星的な学びをさせて生徒の皆さんを自立させていくこと(貫索星)を意味しております。
(※高尾御宗家の遺訓・・・私が教えた通りのことを教えてください。というご希望に基づいています。)


習い方で人生が大きく変わる 第一部の②

 それに対して、算命学学習に対して、師匠を持たずに、多くも書物やネット等で勉強をされてきた方には、 目上と言える人から直接受け継がれてきた流れが存在していないのです。
従いまして、独学ともいえる学習(龍高星の学び)をされてきた方には、 玉堂星の学びとは違った自己確立(貫索星)となっていくのです。

 独学者の方達からしてみると、お免状というものは、ただの紙切れとしか思われていないものと察しております。ですので、今後の姿勢や考え方、そして生徒さんに対する指導の仕方は、新しい理論と称して、革新的なものになっていくのです。
 私は、革新的な考え方を否定するつもりはありません。むしろそれを実行できることに、ある種の敬意を生じさせてしまいます。

 しかしながら、高尾先生曰く、「算命学の学習というものは、人間という小さい立場の存在が、 神の領域を知ることになる、非常に罪深い大それた欲望である。」 「算命学を深く学ぶなら、上記の事を理解しながら覚悟を持って学ぶことが大切です。」語られています。

 それゆえに、この算命学の真理としての哲理を奥義に所有しながら、高等技術を学ばなければならない状態になっていくのです。 その都度、算命学の取り扱いには、非常に慎重にならなければならないことに、いつも気付かされてしまいます。

 算命学を勉強すればするほど、些細な事柄が後々の人生に大きく変化していくことに気付かされることになりますが、 算命学そのものは、個人の人生に大きく影響するだけでなく、この国にとっても非常に大切な無形の財産である ともいえるのです。


第二部の① 学習形態を二つに分ける

 それでは次に、前者の希望の回答ですが、こちらは算命学の【陽占考糧】という思考法で説明することができます。

 まず結論として、 「他校と並行して学ぶ」という学習法は、結果として算命学の修得が遅くなるだけでなく、 後々の人生の在り方に大きく影響してしまうからなのです。

ここで一つの例を出してみましょう。
◆例 ある人がAさんという占い師さんのところへ行ったとします
  「貴方は運が悪い」と言われた
   Bさん占い師のところでは、「あなたは運が悪くない」と言われた
     ↓
   その人は、当然迷います
   今度はCさんという占い師さんのところへ行くのです

  結局、永遠に相談し続けることになるのです
心が振り回されてしまっているのです
  要するに、それぞれの占い師さんの事を信じ切っていないのです
その人は、善いのか悪いのかで動いているのです

ここで大切な事は、Aさんに心を預けてみることです。
これは、相談する側の方に心がけが必要になることなのです


 この例を自己確立(貫索星)に向かって、算命学の学びの観点で捉えていってみましょう。(原典算命学体系の内容を多く用いさせていただきました)

 ◆例 学習形態を二つに分けてみます
Aさんを玉堂星(正当な学問)の学び、Bさんを龍高星(能動的で自ら動く)の学びをするとします。

 Aさんには師なり先生が存在することになります。Aさんの教わる分量はかなり大きくなりますので、 教わる中には、受け止めることのできない何かが生まれる場合があります。しかし、その時には受け止めることが出来なくても、 いつかは理解できることが来ることもあるでしょう。もちろん、生涯受け止められないこともあるかもしれませんが、このAさんの学びは受動的で他力的になります。

 師から学ぶものに対して、多くのものを自己のものに引き入れようとするには、Aさんの間口を広げて師の一点の知力を最大限に引き込むことにあります。

ここで重要なことは、形式的な自尊心を発揮しないことです。

自分の想念を徹底して落として、力もないのに尊大な自尊心を徹底して無いようにして行くことが出来れば、 師の所有する知力を完全に自分のものにしていくことが出来るようになるのです。

もし、学びの途中において、少しでも自尊心が生まれたら、受動的な学びは崩壊していきます。なかなか素直には学びきれなくなってしまうのです。
これは、受験でも同じことが言えます。 学びには理屈やプライドを消すことが必要です。

 師から学んだ後の行動は、世の中で自身が発揮できるようになるための仕事の進め方や活動力・闘争心といった 「車騎星」的な行為となって歩んでいくことになります。

 これに対して、Bさんは師を持たない独学の学び「龍高星」的な学びになります。

Bさんの学びの多くは、書物やインターネット等の複数の媒体から得ることになりますが、この人の目標は、未来の自分自身になります。
成功している自分の未来等を想像することで努力していくになりますが、その根底になるのは、 自分自身の「我こそは」という自負心と自尊心に支えられていくことになります。

「玉堂星」の学びは、目標は師であり、そこからは「車騎星」的な直情が生まれ、 世の中に発揮していく活動(働きぶり)は、結構単調なものになります。世の中で上手に活動していく術を身につけていくのです。
一方の「龍高星」の学びは、自分自身の未来を成功へと導こうとしますので、「牽牛星」的な行為を生み出していくのです。 すなわち、地位・名誉を最大のエネルギーを燃焼させて求めていくようになるのです。

 まとめ
 Aさんの「玉堂星」の学びは、「車騎星」生む
 Bさんの「龍高星」の学びは、「牽牛星」生む

第二部の② AさんとBさんの人生の違い

 次に、Aさん(玉堂星の学び)とBさん(龍高星の学び)の人生の違い
  ・Aさんの「車騎星」は「司禄星」の財の蓄積の世界に入ります。
          ↓
       「司禄星」は家庭中心の世界にもなります。
          ↓
   未来に向かって堅実な人生を本能的に作ろうとします。
   生活は地味になります。

・Bさんの「牽牛星」は「禄存星」の世界へ入っていきます。
         ↓
       回りに対しての愛情、奉仕を発揮し、回転財となります。
経済力は「司禄星」も大きくなり、広い人脈が出来、生活は華美になります。

世の中の人達から見ればB氏は実にすばらしい成功者だと見えることでしょう。

まとめ
Aさんの「玉堂星」の学びは、「車騎星」生み、次に「司禄星」を生む
Bさんの「龍高星」の学びは、「牽牛星」生む、次に「禄存星」を生む


第二部の③ 次に来る欲望が二人の人生に大きな開きとなる

次に来る欲望が二人の人生に大きな開きとなります。
 Aさんの「司禄星」の望む欲は、「鳳閣星」の世界へ進んでいきます。
すなわち、自然の過ごし方であります。これは、安泰、平穏の道であり孤独ではありません。

 Bさんの「禄存星」の望む欲は、『調舒星」の世界へ進んでいきます。
すなわち、孤独の世界であります。人との交流に疲れてきて、自分を見つめ直すことか必要になってきます。

まとめ
Aさんの「玉堂星」の学びは、「車騎星」、次に「司禄星」、そして「鳳閣星」を生む
Bさんの「龍高星」の学びは、「牽牛星」、次に「禄存星」、そして「調舒星」を生む

算命学の考えでは、中庸をもたらすのが宇宙の真理であります。
自己実現「貫索星」(陽星)を求めるのに、Aさんの出発点は「玉堂星」(陰星)ですが、 Bさんの出発点は「龍高星」(陽星)になります。建築で例えるなら、Aさんは陰の土台から陽の建物を建て(陰→陽)、 Bさんは陽の土台から陽の建物を建てるようなものです(陽→陽)。

Aさんの推移が自然の型であり、Bさんの推移が不自然の型と説かれています。 不自然の中から構築された物事ですから、Bさんの建物は、非常に崩れやすくなります。


第二部の④ 次に来る欲望が人生の転換をもたらします

次に来る欲望が人生の転換をもたらします。
 Aさんの「鳳閣星」の望む欲は、「石門星」の世界へ進んでいきます。
すなわち、和合の世界です。
 Bさんの「調舒星」の望む欲は、「貫索星」の世界へ進んでいきます。
すなわち、独立の世界です。

 Aさんの場合は、「石門星」から一区切りはありますが、人生に大きな変動はありません。 その後「龍高星」「牽牛星」「禄存星』「調舒星」へと進んで行き「貫索星」へもどってきます。 この貫索星は、仏教的用語の「十方世界」を一巡していき、一段次元の高い所に行っております。

 Bさんは、まったく最初の出発点と同じ「貫索星」となり、一つの人生が一段階終了する形となります。 多くの人は、ここで 人生の再出発となり、職業が変化しやすくなります。 ここで、孤独からの再出発において、犯罪的な現象を起こす人も見られるようになります。  やり直しの人生から、「貫索星」から「玉堂星」へ、さらに「車騎星」、「司禄星」、そして、「鳳閣星」から「石門星」へ進んで、 次の転換をして、「龍高星」「牽牛星」「禄存星」「調舒星」「貫索星」となって終了するのです。

まとめ
 Aさんの「玉堂星」の学びは、「車騎星」、「司禄星」、「鳳閣星」を通り「石門星」を生む
そこで一段落して、「龍高星」「牽牛星」「禄存星』「調舒星」へと進んで行き「貫索星」に戻り、 一段次元の高い所に上がっていきます。
 Bさんの「龍高星」の学びは、「牽牛星」、「禄存星」、「調舒星」を通り「貫索星」を生む
そこで一段落して、最初の次元に戻り、その後Aさんの通った長い道をたどることになります。

以上のように、動的学び(龍高星)と静的学び(玉堂星)を行った最初の時点で、後々の人生の運命的な流れが違ってくるのです。

 最初のお話に戻りますが、龍高星の学びをされる方たちの共通性は、習い始める初日辺りから、 自身の自尊心が非常に高い状態になって通われるようになります。さらに、並行して複数の学校へ行かれるという事は、 生徒さん側の主体的な学び、動的学び(龍高星)にさらに拍車をかけることになります。
 非常に効率的に感じられるかもしれませんが、算命学の【陽占考糧】という思考法では、結果的に遠回りの人生になってしまうと教えているのです。

 最終的には、算命学を生業にしても、算命学だけでは成り立たず、他の何かを引っ付けて「あの手この手の手法」を使い、 本来の正当な算命学からそれて行ってしまうのです。


第三部の① 補足 ~算命学を急いで学ぶ人の危ない分岐点~

補足 ~算命学を急いで学ぶ人の危ない分岐点~
 高尾御宗家の教えの中に、
「これから算命学を勉強されて行きますのには、どうぞ決して急がないで、のんびりと学習をしていっていただきたいと願っております。」
とおっしゃられています。

 では、何故「決して急がないで、のんびりと学習をするように。」と伝えているのでしょうか?

 この回答につきましては、高尾御宗家直系の古参の先生たちは、よくご承知され、ご指導をされていらっしゃいました。
 結果として云うならば、この世界の勉強を急ぎすぎる方は、精神世界に没頭するあまり、現実世界との乖離が見られるようになります。
精神世界と現実世界の乖離とは、精神と肉体の「ズレ」が生じてしまうという事です。
その「ズレ」によって、大病したり悪いものが憑いたりするケースがあります。

算命学を学ぶ人の中から、たまに霊感がつく人が見られます。

その霊感能力がついた人の位や格を申し上げることは出来ませんが、 算命学の学問修得の観点からいうと、その能力はあまり良いものではないようです。

 話は少し脱線しますが、算命学の教えの中に、「想定法」という奥義があります。 この想定法は、相手の生年月日を聞かずに、お話だけでその人の環境や運命を読み取るものです。
この想定法を修得することは、霊感が付く一歩手前で止めていることになります。(高尾御宗家授業より)
ちなみに、明学院の高段者は、この想定法を得意としております。

話を元に戻しますが、自分は禍的な現象があるわけがない。 と思われる方が大半かもしれませんが、 高尾御宗家曰く、算命学に関わらず、この世界に従事する方は、 何年かの周期で、精神と肉体のバランスが崩れてしまう現象やエネルギーが空っぽになる時が訪れて来るのです。

 中には悪い落とし穴に入ってしまって、そこから抜けられなくなる方もいますので、 高尾御宗家は、後世の算命学士達のお清めの場所として「倫道観寺」を建立されたとおっしゃられております。(※あくまでも一部の理由です。)
 明学院にはお寺はございませんが、 代わりに御宗家が清水先生を含めた4人の方々に伝授された算命学の「符」がございます。 そういったもので対処をさせていただいております。


 正当な算命学を正しく修得していくと同等に、心の成長と共に生徒さんたちをお守りするためにも、 時間をかけて焦ることなく学んでいただく必要があるのです。
 また、算命学の世界に携わる人たちは、このような自らの心の洗濯ができる術をも会得しておく必要があるのです。


第三部の② 外伝① ~算命学の三つの大きな要素~

外伝 算命学の三つの大きな要素
 算命学を学び始めると、その内容は多岐に渡る為、初めから大変面白く学習することができます。 しかし高段者になってくると、技術や物の捉え方が複雑になり、真理としての哲理を裏側に所有しつつ、 高等技術を身に着けて行かなくてはならないことに気がついて参ります。

 本来算命学の学習は、一つの占技がどのようなものの考え方から出発しているのかをよく理解したうえで、 技術の習得に入らなければなりません。しかし、ほとんどが技術先行の教えとなり、その後に形を知り、心を知るといった道筋になっています。 決して間違いではありませんが、高い段階に来ると、これまでの方法は通じなくなってしまいます。

算命学には、三つの大きな要素がございます。三大主因です。
三大主因
1. 占道技術
2. 技術に至る哲理
3. 宇宙を祖とする信仰の心
これらが総合されて、完全な運命把握となり、心の救済になっていけるのです。

第三部の② 外伝② ~算命学明学院の教え方~

下記の資料は、高尾義政先生が、昭和58年7月に実際の授業でお話をされた内容のトートです。
(資料提供 第4期生 故松川先生)

 こちらの授業の説明では、算命学を勉強するには、 陰の(運命編と真理編)と陽の(思想編と運略編) の両方をしっかりと自己の心の中で組み立てられなければなりません。と教えられています。

 高尾御宗家が出版された「原典算命学体系」全11巻を始めとする数々の書物は、 陰の部分の運命編となります。
 上記以外の大半の教義につきましては、 高尾御宗家晩年期の「研究科クラス」や「倫道観寺教場」、 毎月実施されていた「講演会」等々の中でも教えられています。


 下記の資料は、高尾御宗家が法話会で教えられたものです。

(資料提供: 第1期生 故黒正先生の資料をデータ化したもの)

 算命学明学院及び算命館では、高尾御宗家が教えられた全ての教義を余すことなくお伝えして参ります。 その際、当学院に習いの来られる際には、これまで算命学を独学で勉強されてきた方は特に、 無垢な気持ちでおいでいただければ幸いに存じます。

◆物事を学習する
気・・・純粋に気持ちで学問に励む(習得本能+善心)
心・・・人間自身の心の成長と安定
体・・・健全な気持ちで文字を書く、そこには魂が宿る

 当校では板書の量は他校よりも多いかもしれませんが、明学院の板書は、皆さんがそのまま教えることのできる内容になっています。

 しかし、資料等は膨大の量があります。読んで理解できる資料は、かなりの数量をお渡しするようにしています。

 ノートに書き写す行為というのは、習う行為においては「体」を意味しています。
一生懸命に稼いだお金には、気が宿るといわれるのと同じで、 しっかりと書かれたその資料には、書かれた人の気が宿ります。 その資料は、その人にとって非常に大切な宝物になってくるのです。
 また、年齢を重ねた生徒さんなら、よく理解されていますが、字を多く書くことによって、 身体を鍛えることにも繋がるのです。(※ボケ防止にもつながります。)
(※気のお話は、別の機会でさせていただきます。)

 「気・心・体」の完成はこういった意味が込められていることを、どうかご理解くださいませ。
 資料配布ばかりの聞くだけの学習行為では、その資料を活かしていくことは非常に難しくなります。 また、配布されたデータ資料は、遅かれ早かれ売買に使われることになるのです。

 技術専攻の教えに傾くことに、高尾御宗家も苦慮したといわれておりましたが、 算命学明学院では高尾御宗家が教えられた三大主因の内容のものを忠実に教えていく学校です。 その教え方こそが、生徒さんの心が「ブレる」ことなく、横道に逸れることなく成長していけるものと信じております。 これが完成してこそ、算命学が真の「大衆に根付いてこその学問」と成り得るのです。


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